【HATA】岸岳城は”呪いの城”?私が抱いた違和感

HATA|波多氏の歴史

皆さんは、岸岳城って知っていますか?

心霊スポットとして有名な……
あの岸岳城です。

知らない方は、TikTokやYouTubeで検索してみてください。
心霊スポットとして紹介されている動画がたくさん出てきます。

・・・・・・

??
そんなことになっているとは、まったく、いや、予想もしていませんでした。

この城、子どもの頃から家で時々名前を聞いていた城で、
なんとなく好印象を持っていた城なのです。

その城が、気がついたら「心霊スポット」として知られていたなんて……。

まさに「開けてびっくり」という感じでした。

ちなみに岸岳城は、現在の佐賀県唐津市にあった山城で、
その昔、この地域一帯を治めていた城だと言われています。

400年以上前、豊臣秀吉によって城を失った——
そんな認識でした。

子供の頃に聞いた話を、長老に聞き直してみた

豊臣秀吉から領地を取り上げられた——子どもの頃に聞いたのは、その断片くらいでした。

正直、その頃の私は 「へえ、そうなんだ。」 それくらいの受け止め方でした。

豊臣秀吉という、あまりにも有名な名前が出てきたことで、どこか現実味がなく、
岸岳城はそこで終わったものだと、
廃城跡としてそこにあるだけだと勝手に思っていました。

そんなある日、ある長老に聞いてみました。

「岸岳城って、小さな領地を治めていたくらいの城だったのですか?」

すると長老は、静かにこう言いました。
「そんな小さくもなかったんだよ。
勢いがあるときは、長崎の松浦から佐賀の唐津あたりまで治めていた」

「そうなの!?」予想と違いすぎて、びっくりしました。

調べてみると、城主は「波多三河守」——松浦党の一員だったと書かれていました。

小さな城ではなかったのかもしれない。
この地域のを守っていた人たちだったのかもしれない。

そう思ったとき、胸の中で何かが動き始めました。

岸岳城ゆかりの寺社を訪ねたときのこと

もうずいぶん前になりますが、学生の頃一度だけ妹と、
岸岳城ゆかりの寺社を訪ねたことがあります。

名前は忘れてしまったし、由緒(寺社の成り立ち)も読みませんでした。
小さな寺社だったことは覚えています。

拝殿に入って、ふと見上げると——

中央から少し左の高いところに、菊の紋章が見えました。

そしてその右側に、もう一つ紋がありました。

あれ?

思わず妹に小声で聞きました。
「ねえ、あの家紋……見たことあるよね?」

妹も少し驚いた顔で
「確かに……」と答えました。

中央の高いところに、
菊の紋章と、見覚えのある家紋。

その二つが、横に並んで掲げられていた。
そんな記憶はあります。

最近この寺社と思われる場所を、インターネットで探してみました。
地域の人たちの信仰が、
途切れることなく続いてきた寺社であることがわかりました。

そう考えると、
岸岳城が廃城になったことで、
すべてが終わったわけではなかったのかもしれない——
そう感じるようになりました。

この寺社は、また改めて訪ねてみようと思っています。

呪いの城か、英雄の城か

その人たちが、どんな人だったのか。
立派な人たちだったのか。
それとも、そうでもなかったのか。

今の私には、まだ分かりません。

でも、もしこの土地や人々を守るために
生きた人たちだったのだとしたら——。

その城が、いつの間にか
「心霊スポット」として語られているのは、
少し違う気がしました。

本当のことを知りたい。

もしこの土地を守っていた人たちがいたのなら、
その姿をきちんと残したい。

歴史の中で小さくされてしまったのなら、
もう一度、私なりに光を当ててみたい。

そんな気持ちが、少しずつ湧いてきました。

岸岳城は本当に「呪われた城」なのか。
それとも、英雄たちが眠る城なのか。

その答えを、これから自分なりにたどっていこうと思います。

次回の記事はこちら
岸岳城の短刀ミステリー|なぜそこにあったのか?

タイトルとURLをコピーしました