【HATA】岸岳城主・波多氏が祈った場所 ― 波多八幡神社

HATA|波多氏の歴史
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岸岳城主・波多氏とは?——初めて知る人のための入門ガイド

千年以上、 祈りが途切れなかった神社があります。
佐賀県唐津市北波多にある、 波多八幡神社です。

ある日岸岳城を探して、 車を走らせていた日のことでした。

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岸岳城は”呪いの城”?私が抱いた違和感

岸岳城跡の看板をたどっていくと、

周囲は少しずつ
田畑が広がる農村地帯へと変わっていきました。

慣れない土地に、 私は次第に不安になってしまい車を止めました。

そして、 ふと横を向くと、
そこに波多八幡神社がありました。

ひっそりと佇む神社。
でもなぜか軽い気持ちでは入れないような 静かな緊張感がありました。

私はその空気に圧倒され、
その日は岸岳城を探すこともなく引き返してしまいました。

日を改めて、 長老とともにいった日の神社は、少し様子が違っていました。

神社の前には、 旗が揺れていました。
人の手が、今も届いている。

この神社は忘れられているわけではなかったと、 少しホッとしました。

長老とともに由緒を読み進めていくうちに、
この神社が千年以上続いてきた理由が、 少しずつ見えてきたのです。

羅生門の鬼退治で知られる渡辺綱

波多八幡神社の由緒には、 渡辺綱(源綱) の名が残されています。

綱は、 源頼光四天王の一人として知られ、
羅生門の鬼退治でも名を残した武人です。

その綱が、 この地へ下向した際、
八幡神を祀ったことが、 波多八幡神社の始まりだと書かれていました。

静かな農村地の奥にある神社。
けれど、 その始まりを辿ると、 平安時代の伝説的な武人へと繋がっていく。

綱が西下したことで、 この地では千年の歴史が動き始めるのです。

京都・石清水八幡宮から勧請(かんじょう)された神

由緒によると、 綱は京都の石清水八幡宮から御分霊(ごぶんれい)を迎え、
波多八幡神社を創建
したとされています。

石清水八幡宮といえば、 皇室や武家からも篤く信仰されてきた、 京都屈指の八幡宮です。

その神様を、 遠く九州の地へ招いた。

しかも、 ただ神社を建てたのではありません。
由緒には、「封地家門の永昌を祈願した」と残されています。
土地を守り、 一族を守り、 その繁栄が長く続くことを願った。

それは、 一人の願いというより、 この土地そのものを背負う祈りだったのかもしれません。

松浦党の領袖(りょうしゅう)・波多氏

その後、 綱の曽孫とされる源持(波多持)が 岸岳城を築城します。

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岸岳城はその土地の心臓だった。【歴史を巡る・第3話】

波多氏は岸岳城を拠点として、 上松浦地方を支える大きな勢力となっていきました。

松浦党とは、 中世の西九州で勢力を持っていた武士団です。
海を拠点に活動し、 交易や海防にも深く関わったことから、
“海の武士団”とも呼ばれています。

その由緒には、 波多氏のことを「松浦党の領袖」と記しています。
つまり、 松浦党を束ねる中心的存在だったということです。

海を守り、 地域を守り、 人や物の流れを動かす。
波多家とは、 そういう一族だったのでしょう。

保元の乱や源平合戦、元寇、そして南北朝の争い。
日本の命運が揺れるたび、活躍してきました。

松浦党の領袖として、 波多氏が松浦党全体の舵を切っていたことは、 想像に難くありません。

元寇では、 外国の大軍勢が突然押し寄せてきました。
その恐怖の中で、 逃げずに勇敢に戦った。
波多八幡神社で祈り、 海へ出た。

この神社は、 戦へ向かう者たちの祈りを、 何度も受け取ってきた場所なのです。

17代・450年続いた岸岳城

由緒によると、 波多氏は17代約450年にわたって この地域を治めていました。

450年。

これは、 江戸幕府でさえ約265年だったことを考えると、 驚くほど長い時間です。
しかも、 戦乱や時代の変化が続く中で、 同じ地域を守り続けていた

その長い歳月が続いたのは、 強さだけではなかったと思います。
民に慕われ、 民と共にあり、 民から尊敬されていたからこそ、
これほど長く続いたのだと思います。

だからこそ私は、 岸岳城や波多氏が、 今あまり知られていないことに、 強い違和感を覚えます。

突然の改易

しかし、 その波多氏も、 豊臣秀吉の時代に突然改易されます。
改易。
それはある日、 城も、 領地も、 家臣も、 すべてを取り上げられること。

由緒には、「矛盾した改易理由
という、 とても印象的な言葉が残されていました。

私も同じ気持ちです。

450年続いた一族。 上松浦党の領袖。

元寇でも最前線に立った一族

それほどの勢力が、 突然歴史から消されてしまった。

姫たちも、 家臣たちも。
そして、 450年続いた”当たり前の人々の日常”も。
まさか、 その世界が終わるとは、 思っていなかったのではないでしょうか。

それでも人々は神社を守り続けた

波多氏が改易されると、 神社の社領も没収され、
一族や家臣たちも離散を余儀なくされました。

けれど、 由緒には、
その後も地域の人々の崇敬心は変わらず、 代々この神社を守り続けてきた
と残されていました。

ここに波多八幡神社が千年以上残ってきた理由がある気がしました。

もし、 波多氏がただ恐れられていただけなら。
もし、 民との繋がりがなかったなら。

450年も続かず、 神社も残らなかったのではないでしょうか。

綱が守り、 波多が守り、 そして人々が守った。

権力は、改易できます。 社領も、没収できた。
けれど、 人々の心は、 誰にも没収することはできなかった。

だからこそ、 波多八幡神社は、 千年以上経った今も、
この土地に残っているのだと、私は感じています。

境内には、 木漏れ日が差していました。
改易という悲しい歴史とは裏腹に、 空気は驚くほど清らかでした。

長い年月、 人々に大切に守られてきた場所だからこそ、 この清らかさがあるのかもしれない。
そう思いながら、 しばらく境内に佇んでいました。

空を見上げると

梅雨が近く、 天気予報では雨が続くと言っていたのに、 その日は不思議なくらい青空でした。

参拝を終えたお昼近く、 ふと空を見上げると、 十数羽のカラスがいました。
こちらをじっと見ているものもいれば、 空へ飛び立っていくものもいる。

八幡神の使いともされるカラスが、 青空の下、 集まってきていました。

祖先の道統を伝えんと念願する

波多八幡神社の由緒は、 最後にこう締めくくられていました。

「我等(ごう)(みん)氏子(うじこ)はかく由緒ある当社の歴史に鑑み、 祖先の(どう)(とう)を伝えんと念願する」

私たちは、 この神社に刻まれた長い歴史を胸に刻み、 先祖が生きた道を、 その精神を、 その志を、 絶やすことなく伝え続けたいと強く願う」

どう生きたか。 何を守ったか。 何を次へ渡したか。
その精神その志を、 未来へ繋いでいきたい。

城主は消えても、 城主の想いは、 地域の人々とともに生き続けています。

この神社に灯り続ける祈りは、 先祖から受け取り、 子孫へと手渡していきたい。
そう思いました。

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